フランスのDRAGON BALL事情




近年のアメリカでの日本アニメブームのせいで陰に隠れがちなヨーロッパですが、
フランスは世界でもいち早く漫画やアニメを広く受け入れた国のひとつです。
多くのアニメ作品はヨーロッパにおいてはフランスを経由して広まったので、フランスでの
アニメ事情を知らずにヨーロッパでの日本アニメを語ることはできないと言っていいでしょう。
ドラゴンボールも例に漏れず、フランスでの経緯を知ることはその他ヨーロッパ諸国での
吹き替え事情を把握するには必須です。そんなフランスでのDBの歴史を見ていきましょう。






放送開始までのフランスのTV・日本アニメ史概略



 フランスのテレビ放送は1935年4月26日にパリ限定で開始し、1950年代にはフランス全土に普及しました。フランスにおける当初のテレビ放送は国民の文化水準を引き上げる道具として政治的に使おうという思惑が強く内容もお堅いもので、1960年代半ばに至るまでは国営放送一局のみという体制でした。1964年にようやく第2チャンネル(こちらも国営)が創設され、その後は1987年までの間に国営・民営含め6チャンネルにまで増えることになります。まず日本のアニメを最初に放送したのは当時"Antenne 2"(アンテンヌ・ドゥ)と名乗っていた2チャンネルでした。不確定な情報が多いですが、最初に放送されたアニメは1974年の「リボンの騎士」であると言われています。他にも「ジャングル大帝」が同時期に放送されました。しかしこれらの作品は恐らくいずれも日本からの直接の輸入ではなかったうえ、視聴者には日本製アニメであるということは知られていなかったようです。初めて「日本製のアニメ」が注目されたのは同2チャンネルで1978年に開始された「レクレ・ア・ドゥ」という子供向けバラエティ番組で、平日の毎日17時〜18時までスタジオからパーソナリティが生放送をする中で日本のアニメが放映されました。


レクレ・ア・ドゥ



この時番組の司会者・歌手として抜擢され大人気となったのが
ドロテ(本名:フレデリック・オシェデ)で、番組の立ち上げに大いに関わったのが芸能プロダクション兼レコード会社の"AB Productions"(アベ・プロダクション 以下アベ・プロ)です。この頃には最高視聴率100%の逸話で有名な"Goldorak"(ゴルドラック 原題:UFO・ロボグレンダイザー)が空前の大ヒットを博し、他にも「スペースコブラ」や「キャンディ・キャンディ」、更には特撮の「宇宙刑事ギャバン」など数多くの番組が日本製として紹介され大ヒットしました。「レクレ・ア・ドゥ」が1987年に放送を終了したのと同年に民営化されたTF1(テー・エフ・アン 1チャンネル)の社長フランシス・ブイグは、ドロテとの年間1200時間の放送枠という大口の契約を結ぶこととなります。ドロテはレクレ・ア・ドゥで長年共に仕事に関わってきたアベ・プロと一緒にやりたいと申し出て、番組内で放送する子供向け作品を買い付けるためハリウッドと東京に直接赴きました。そして1987年9月2日よりドロテがプロデューサー兼パーソナリティを務める「クラブ・ドロテ」の放送が開始します。このクラブ・ドロテは一週間におよそ20時間という、TF1の放送時間を驚異的な割合で占める"化物"番組で、同9月(正確な月日は不確定で、88年3月2日との情報もあり)よりこの番組内で紹介される形で放映され大人気を博したのが何を隠そうドラゴンボールなのです。西洋世界におけるドラゴンボールの放送の歴史は正にここから始まりました。

視聴率は世代別の集計であったことと、人気のない裏番組との兼ね合い等の条件が重なった結果ではありますが、驚異的な人気であったことは疑いようもありません。


クラブ・ドロテ






ドラゴンボール(無印)




 ドラゴンボールは放送開始されるや否や大人気となり、1988年にはアニメ雑誌「PIFジャーナル」のテレビフィルムアニメーション部門にてアニメグランプリ「金のトリュフ賞」を受賞したうえ最高視聴率はなんと87.5%にまで達しました※1。吹き替えの制作はアベ・プロ担当で、コメディアンを含めた所属タレントが声優を務め、番組の権利も2011年に失効するまで同社が所持し続けました。内容的な話でいえばキャラや道具の固有名詞はかなり改変されていて(例えば悟空の名前が姓名合わせた"Sangoku"になるなど)、台詞も同様に大幅に改変されているようです。しかし当時の東映動画の海外輸出用に英訳された台本は相当に酷いものだったらしく※2、忠実に翻訳するのはむしろ困難であった可能性が高いですので、ある程度の改変は仕方なかったのかもしれません。初回放送時には全話が完全な無修正で放送されましたが、後述のZの時に起きた問題以降は残酷・性的シーンはカットされるようになり、編集以前のマスターが現存していないために無修正版は初回放送時の録画でしか視ることができなくなってしまっています。
 シリーズは上記の通り「クラブ・ドロテ」内のいちコーナーとして放送されたため、主題歌は番組内のパーソナリティのアリアーヌが歌う独自のものとなっていて、どこかほんわかした雰囲気が漂っています。後にポルトガル・ドイツ(映像のみ)・カナダ・イギリスなど多くの国がこのOPに準じています。


※1朝日新聞 1989年12月2日付夕刊より
※2海外のセーラームーンのwikiにスウェーデン語版の翻訳を担当した方の話が載っています: http://wikimoon.org/index.php?title=Sailor_Moon_in_Sweden





ドラゴンボールZ



 ドラゴンボールZも無印と同様にアベ・プロによる制作で、同程度の改変が為されています。有名なものとしては「サイヤ人」が"Les guerriers de l'espace"(宇宙戦士)と呼ばれ、「サイヤ」という言葉は一言も出ないことが挙げられます。「超サイヤ人」も"super guerrier"(超戦士)となっています。番組開始当初は無修正で問題なく放送されていていましたが、1989年の"Muscleman"(ムスクルマン 原題:キン肉マン)におけるナチスのパロディキャラの「ブロッケンマン」が槍玉に上げられCSA(テレビ番組を審査する最高議会)によって番組の放送中止を命じられたことから端を発する日本アニメバッシングの中、ついに1991年5月にドラゴンボールZも「主人公の腕から血が噴出すシーンが残酷すぎる」(詳細なシーン不明)という判断から放送局のTF1に対し20万フランの罰金の支払いを命じ、更には視聴率の高い同局8時のニュースで行き過ぎた暴力シーンの放送を謝罪する事態にまで発展してしまいました。これ以降は暴力・性的シーンに修正が加えられることとなり、過去の話や無印の再放送の際も全て修正されてしまいました。また上記の無印と同じく、Zの初期の話も無修正版のマスターが現存していません。劇場版作品は11作目までが"OAV"という扱いでテレビ放送とビデオリリースのみで、12・13作目は一つにまとめられて"Dragon Ball Z Le Film"とされ、実際の劇場での公開が為されました。
 無印と同様OPは妙にほんわかした曲で、歌詞の内容も映像も悟飯を主人公に据えたような作りになっています(歌詞の中には「父・孫悟空は偉大なヒーロー
だった」といったような何か内容を勘違いしてるような言葉も)。番組内パーソナリティのアリアーヌの明るい歌声が一部残酷な映像と相まって何とも言いがたい奇妙な様相を呈しています。日本版のブウ編のOP・EDの映像をそのままに歌をカラオケ版にしたものも存在しますがどの時期に使われたのかは謎です。





ドラゴンボールGT



 前述の日本アニメバッシングが強まる中アベ・プロはアメリカの番組の購入量を増やし、クラブ・ドロテ内の日本アニメが再放送ばかりになってしまった結果視聴率の低下を招き、1997年8月30日にクラブ・ドロテは放送終了となってしまいました。そういった状況の中予定されていたドラゴンボールGTはTF1での放送機会を失い、1999年に衛星放送で初めて流されることになります。恐らくはクラブ・ドロテ内で使われる予定であったであろうベルナール・ミネ氏の歌だけは名残として存在しますが、実際のOPはそのまま日本のものを使っています。







ドラゴンボール改


 2011年よりNICKELODEONにて「ドラゴンボールZ改」の題名(東映が海外輸時に全てZ改としている)でドラゴンボール改の放送が始まりました(2011年12月現在人造人間編を放送中)。吹き替えは一部逝去した方を除きZのキャストのままで、放送開始時期の関係からBGMは全話差し替え後のZの曲になっています。OP・EDともに日本語版のままクレジットのみフランス語に差し替えています。










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